GHG排出量開示の深化:Scope3算定・削減目標設定の最新動向と企業価値向上戦略
導入:高まるGHG排出量開示の要請とScope3の重要性
近年、気候変動問題への関心の高まりとともに、企業に対するGHG(温室効果ガス)排出量開示の要請は一層強化されております。特に、Scope1(直接排出)、Scope2(エネルギー起源間接排出)に加え、サプライチェーン全体で発生するScope3(その他の間接排出)の開示と削減目標設定は、企業のサステナビリティ戦略における喫緊の課題となっています。投資家は、企業の気候変動リスクと機会を評価する上で、Scope3を含むGHG排出量の網羅的な開示を重視しており、その情報がESG評価や投資判断に与える影響は無視できません。
大企業のIR部門や経営企画部門の専門家の皆様は、投資家からの質問対応、ESG評価機関からの評価向上、競合他社との差別化といった多岐にわたる課題に直面していることと存じます。本稿では、GHG排出量、とりわけScope3の算定・開示における最新動向、実務的課題、そして企業価値向上に繋がる戦略について深掘りし、実践的な示唆を提供いたします。
GHG排出量開示を取り巻く最新動向と規制
GHG排出量開示は、国際的な枠組みと国内規制の両面で進化を続けています。
国際的な動向:TCFDからISSB、そしてSBTi
従来、GHG排出量開示はTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)提言が事実上の国際的な開示フレームワークとして広く認識されていました。TCFDでは、ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標の4つの柱に基づいた開示を推奨しており、GHG排出量は「指標と目標」における主要な開示項目です。
しかし、近年では、ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)が公開したIFRS S2(気候関連開示基準)が、TCFD提言の内容を組み込みつつ、より詳細かつ統一的な開示を求める動きが加速しています。ISSB S2では、GHG排出量をScope1, 2, 3に分けて開示することを義務付けており、特にScope3に関しては、関連するカテゴリごとの開示が求められるなど、開示の粒度が一段と細かくなっています。
また、企業のGHG排出量削減目標設定においては、SBTi(Science Based Targets initiative)が提唱する「科学的根拠に基づいた目標設定」がグローバルスタンダードとして定着しつつあります。SBTiの認定を取得することで、企業の削減努力が科学的に妥当であることが証明され、投資家からの信頼獲得に繋がります。
日本国内の動向:有価証券報告書での開示義務化
日本では、金融庁が2023年3月期以降の有価証券報告書において、プライム市場上場企業を中心に、サステナビリティに関する情報開示を義務化しました。この中には、気候変動関連のリスクと機会に関する情報が含まれており、特に「人的資本や多様性、サプライチェーンにおける人権に関する考え方及び対応」といった項目に加えて、GHG排出量の開示も実質的に義務化されております。これにより、国内企業も国際的な開示基準に沿った対応が強く求められる状況となっています。
Scope3排出量算定の実務的課題と対応策
Scope3排出量の算定は、その特性上、多岐にわたるサプライチェーンからの情報収集が必要となるため、企業にとって大きな課題となります。
算定の複雑性とデータ収集の困難さ
Scope3は、企業の事業活動に関連するが、自社が所有または管理していない情報源から発生する排出量を指します。GHGプロトコルではScope3を15のカテゴリに分類しており、各カテゴリで算定方法が異なります。例えば、カテゴリ1(購入した製品・サービス)、カテゴリ4(輸送・配送:上流)、カテゴリ11(販売した製品の使用)などが代表的です。
これらの排出量を正確に算定するためには、サプライヤーからのデータ収集が不可欠ですが、サプライヤー側の体制整備状況や情報開示への協力体制にはばらつきがあり、網羅的かつ信頼性の高いデータを継続的に取得することは容易ではありません。また、算定基準の解釈や、活動量の設定、排出係数の選択など、専門的な知見も求められます。
実務的対応策
- サプライヤーエンゲージメントの強化: サプライヤー向けの説明会開催、専用ポータルの設置、GHG排出量算定支援ツールの提供などを通じ、サプライヤーとの連携を強化することが重要です。長期的な視点で、サプライチェーン全体の排出量削減に向けたパートナーシップを構築することを目指します。
- 算定ツール・外部専門家の活用: 膨大なデータを効率的に処理し、正確な算定を行うためには、専用のGHG排出量算定ソフトウェアや、コンサルティングファームなどの外部専門家の活用が有効です。これにより、算定業務の負荷軽減と信頼性確保を図ることが可能です。
- 段階的なアプローチ: データの入手が難しいカテゴリについては、業界平均値や近似値を用いた算定から開始し、徐々に一次データの収集へと移行するなど、段階的なアプローチも有効です。重要な排出源から優先的に算定を進めることで、効率的な取り組みが実現します。
削減目標設定と企業価値への影響
Scope3排出量の算定に加え、その削減目標設定と具体的な戦略の実行は、企業の持続可能性と企業価値に直結します。
SBTiに準拠した目標設定の重要性
投資家は、企業のGHG削減目標が「野心的かつ科学的根拠に基づいているか」を注視しています。SBTiは、世界の平均気温上昇を「1.5℃に抑える」というパリ協定の目標に整合した排出量削減目標の設定を推奨しており、これに準拠した目標設定は、企業のコミットメントを示す強力なメッセージとなります。
SBTi目標は、短期目標と長期目標の両方を含み、Scope1, 2, 3のそれぞれについて設定が求められます。特にScope3目標は、企業の事業特性に応じて設定基準が異なり、目標達成のためにはサプライチェーン全体での協働が不可欠です。
企業価値向上への寄与
高品質なGHG排出量開示と野心的な削減目標の設定、そしてその進捗状況の報告は、以下のような形で企業価値向上に寄与します。
- ESG評価の向上と資金調達優位性: 主要なESG評価機関(MSCI, CDP, Sustainalyticsなど)は、GHG排出量とその削減目標を重要な評価項目としています。評価の向上は、ESG投資家からの資金流入を促し、グリーンボンドやサステナビリティ・リンク・ローンといったサステナブルファイナンスへのアクセスを容易にします。
- 投資家との対話強化: 投資家は、企業の気候変動への取り組みに関する詳細な情報を求めています。信頼性の高いGHG排出量データと具体的な削減戦略を開示することで、投資家との質の高い対話が可能となり、企業への理解と信頼が深まります。
- レピュテーション向上と事業機会の創出: 気候変動対策に積極的な姿勢は、企業のブランドイメージとレピュテーションを高めます。また、サプライチェーン全体での排出量削減努力は、新たな技術開発やサプライヤーとの連携強化を促し、事業効率の改善や新ビジネスモデルの創出に繋がる可能性を秘めています。
- リスク管理の強化: 気候変動関連の物理的リスクや移行リスク(炭素税導入、規制強化など)を早期に特定し、GHG排出量削減を通じて対応することで、潜在的な財務リスクを軽減し、事業継続性を高めることができます。
先進企業事例に見る成功要因
多くの企業がScope3排出量開示と削減目標設定に取り組んでいますが、その中でも特に注目される企業は、以下の共通点を持っています。
- 経営層のコミットメント: GHG排出量削減が経営戦略の根幹に位置づけられ、CEOや取締役会が明確なリーダーシップを発揮しています。
- 明確なロードマップと目標設定: SBTiに準拠した野心的な目標を設定し、それを達成するための具体的な戦略とロードマップ(例: 再生可能エネルギーへの移行計画、サプライヤーへの支援プログラム、製品設計の見直しなど)を策定しています。
- 透明性の高い情報開示: 排出量の算定方法、削減目標の進捗、課題、対策などを詳細かつ定期的に開示しています。不確実性がある場合でも、その理由と今後の改善計画を説明することで、信頼性を高めています。
- サプライチェーンとの協働: サプライヤーに対して排出量データの提供を求めるだけでなく、削減技術やノウハウを提供し、共同で排出量削減に取り組む体制を構築しています。一部の企業では、サプライヤーの排出量削減を評価項目に組み込むなど、インセンティブ設計も行っています。
- 技術活用とイノベーション: AIやIoTを活用したエネルギー管理システムの導入、製造プロセスの省エネ化、リサイクル技術の開発など、積極的に技術革新を取り入れ、排出量削減と事業成長を両立させています。
結論:ESG戦略の中核を担うGHG排出量開示
GHG排出量、特にScope3の開示と削減目標設定は、もはや企業の任意的な取り組みではなく、企業価値を左右する不可欠なESG戦略の中核をなすものとなっております。国際的な規制の動向、投資家の要求、そして社会からの期待は、今後も高まる一方でしょう。
大企業のIR部門や経営企画部門の皆様には、以下の点を踏まえ、戦略的な対応を進めることを推奨いたします。
- 体制の強化と専門人材の育成: GHG排出量算定・開示の専門知識を持つ人材の育成や、関連部門(調達、生産、IR、経営企画など)間の連携強化が不可欠です。
- サプライチェーン全体の巻き込み: サプライヤーとの対話を強化し、共同での排出量削減に向けた具体的なロードマップを策定してください。
- 情報開示の質と透明性の向上: 単に排出量を開示するだけでなく、その算定根拠、削減戦略、進捗状況、課題、今後の計画などを詳細かつ分かりやすく提示することで、投資家からの信頼を獲得してください。
- テクノロジーと外部知見の活用: 効率的かつ正確な算定のため、先進的な算定ツールや外部専門機関の知見を積極的に取り入れてください。
これらの取り組みを通じて、企業は気候変動リスクを機会に変え、持続的な企業価値向上を実現できると確信しております。